メンヘラがよりメンヘラだった過去を記録して反省するブログ

厨二病とメンヘラは大人になれば治ると思ってた!

2011.01.03 先輩、ぺろぺろとぱふぱふ、どっちがいいですか?と後輩の声が響いた女風呂@合宿

親愛なる皆様
明けましておめでとうございます。
個人的にあけおめことよろって言うやつが嫌いな私ですこんばんわ。


さて、
聞いてもいない一年をつらつら書いている方が多いので、
私も聞かれてもいない2010年を語って、
2011年についてもちょっと触れたいと思います。


激動の2010年!!


1月は
FFメドレー作成と試験に挟まれて死ぬかと思いました。

2月は
Nちゃんとスペイン行きました。楽しかった!!
あと管合宿。
後輩ちゃんの「ぺろぺろとぱふぱふ」事件は一生忘れません。
あともう飲みすぎません。

3月は
卒業演奏会。生きてて良かったと思えた瞬間。
乗ってくれた人、本当にありがとうございました。

4月〜11月←
空白←←←


8月にリアル自律神経失調症になったのだけは覚えてますが、
それ以外は、まっさら。
毎朝同じ電車に乗り、同じ道を歩き、猫を50万匹装着し、
同じコンクリートの塊の中で同じ席に座り、同じ顔に挨拶をし、
気付いたら日が暮れ、同じ道を帰り、同じ電車に乗り、帰って寝る。
そんな生活をしてたことは覚えてます。


12月は
丸一ヶ月、病気を理由に会社をお休みさせていただいて考える時間を作りました。

辞めるという行為自体が逃げの気持ちから生じたものでも、
そこから先何かに繋がれば、結果的に良いんですけど(個人的に)、
嫌だ嫌だと思い込んでいるせいで辞めたくなっているんだけだったら
それはただ逃げるだけになると思ったので、
一度離れて、本当にこれでいいのかって考えようと思いました。


12月はほんっとうに長くて、
めいっぱい考えました。


たとえば、今回の就職は消極的決断によるもので、
且つ私自身が消極的決断に対して
責任を果たさない人間だということがわかりました。

私が就職すると決めたのは、
学費を今まで出してきてくれた両親と祖父母への負い目ただそれだけで、
確かに就職すると「決めた」のは私だけれども、
私の積極的な意思ではありませんでした。
でも、その時点で胸張って言えるほど何か他にやりたいことがなかったのも事実です。

それでも仕事は仕事。
やりたくないことでもわりきれるんじゃね、なんて過信して
3月くらいの日記では大口叩いてます。


で、やってみた結果、出来ませんでした。


『〇〇のため』『〇〇が喜ぶから』という理由で決断したなら、
最後まで喜ばせなきゃいけない。
それが、決断に対する責任ですが、私にはそれができませんでした。

なぜならば、
私が本気で自己中で低能だからです(^ω^)
具体的に言うと、
『自分の自分による自分のための決断にしか責任を負えない』んですね。

たとえば、
社長令嬢の麗子さんがいたとして、
政略結婚の話が麗子さんに舞い込んできたとします。

でも麗子さんには平民夫さんという極貧な恋人がいて、
民夫さんと結婚したいと思っていたとします。

ここでね!
A→麗子さんはお父さんのためを思って、好きでもない相手と結婚する
B→お父さんごめんなさい!私民夫さんしか愛せない、と民夫と結婚する
となるわけです。

Aを選べば、消極的決断になります。
Bを選べば、積極的決断になります。
お父さんのことや、自分の生活の安定を考えれば、Aを選ぶべきです。
でも自分のやりたいようにしたければ、Bを選んでしまうわけです。

Bがドラマになりやすいのは、
やはり現実的には多くの人がAを選ぶからであり、
且つBを選んで麗子の人生がこの後どうなろうとも、他人のことなので関係ないからであり、
傍から見てる分には、普通じゃなくて面白いからです。

私の場合はもっと最悪で、
大人しく政略結婚したと思いきや、
すぐに離婚しちゃうタイプ。
「お父さんのためを思って結婚したけど、やっぱり我慢できなかったの!」
ってなわけです。最悪w

私は、皆さんのように、
自分の意思に反していても、しかたないと自分を納得させることができない、スーパーおこちゃまなのです(ひらきなおり)
おそらく多くの人は、消極的決断であったとしても、
それを自分の中で積極的決断に変換できるんだと思います。

まあ、
働くということを諦めきれないのは、
おそらく今まで極貧生活を送ったことがないからだと思います。
食べることさえままならない生活を送っていたら、
仕事にありつけるだけで、
お金がもらえるだけで幸せを感じられるんだと思います。

結局なめきってるんすね、社会(^ω^)

ただ、
結婚をする予定がなければ、
会社で昇進することが目標でもない。
生きることを目的に働くのであれば、
私一人ならアルバイトでもなんとかならなくはないわけです。

なぜ今の会社に、
何十年も費やし、
『会社人』になる。
これの何がいいんだかわかんないわけです。
良くなくても、生きるためだよと思えないわけです。

なーんて今は言ってますが、
極貧生活したら変わるかもねw


現時点では、
お金、お金、お金が全てな社会が嫌いです。

たしかに、お金はなくてはならない社会になってしまっています。
が、
人間を生物として捉えるなら、
本来お金という概念は必要なかったはずかなって。

何に対しても、「お金」を組み合わせると
なんともドロドロした、負の感情の塊っぽくなりません?w
売れるものだったら、環境を壊してもかまわない。
売るためだったら、人を人と思わなくてもかまわない。
世の中それだけじゃないっていう人もいますけど、
本当にそういえますかね?

なーんて大口叩いてますけど、
大口しか叩けませんw
なんせ私は自分の自分による自分の為になることしかやりたくないので、
もっとも害ですねw社会的にも環境的にもw

さて、
そんな私は今年、
アイルランドへぶっ飛んできます。

3月末から行く予定ですが、
どうなるかわかりまへん。
ていうか予定では1年きっかりで帰ってきますが、
どうなるかはわかりません。

つーのは、
ガッチガチに予定決めてくとよくないかなーって思うわけです。
ゆるめに構えて、ゆるゆるしてきます←

海外生活を送ったことがある方は、
いろいろアドバイスいただけると助かりますます。

で、会う予定のある人は3月までにいっぱい会いましょう。

 

 

ま、

深く考えても意味ないって。