メンヘラがよりメンヘラだった過去を記録して反省するブログ

厨二病とメンヘラは大人になれば治ると思ってた!

2009.11.12 次長課長の河本に似てると言われます。そして10年経ってないけど既にネタになってます。

どこでも
だれでも

手に入れたかったものは手に入ったとたん
手持ち無沙汰になるんでしょうかね

気持ちはわからなくないけれど
やっぱりリア充の憂鬱はそれ以上でもそれ以下でもないぜ(^ω^)

 


さておき。


一年、たったんだなあと思いました。
ちなみに失恋じゃありません。
むしろ失恋のほうが全然良かったかもしれません。

先に言っておくけれど
被害者ぶりたいとか
自分かわいそうだとか
そういうことを言いたいんじゃないんですが
そう聞こえたらすみませんw

 

まずこちらは目の前や表面しか見ない人のお話。

 

どういう人間が
一番得なんでしょうか。

また

先入観でその人がどういう人かを決め付けることと
自分の言動で先入観を与えてしまうことは
どちらが悪いのでしょうか。


こんなの何億年議論したって答えは出ないのですが、
何が言いたいかって言うと、
つまり私は第一印象が悪いと言われるのは、
そういう印象を植えつけるような態度を取った私が悪いのか、
その印象をそのまま理解するだけに留まる相手が悪いのか。

悪い、というのはあまり良い言葉じゃありませんが…

そういう言動しか出来ない私自身に大いに問題があるのは重々承知しているけれど、その端的な部分しか見ようとしないその人とは、私は到底信頼関係を築けるとは思えないんです。


でも、
どこの人間が、
価値も無い人間の奥を見ようとするでしょうか。


私が、チャン・ツィイーのように美しさと強さと聡明さを兼ねていたら、きっと興味を持たれて、この人の奥深くを知ろうと思えますけど、
誰が次長課長の河本の深層心理を知りたいと思うでしょうか。


思いません。
思いませんし、私がそのような人たちと年月を経たところで、それは変わりません。
なぜなら、その人たちは彼らが形成したキャラクターに向かって話しているわけですから。

 

ここまで話して
既に何人もの人が疑念を抱いたと思います。

なぜそんなにも開き直った態度を取るのかって。

そりゃあそう思いますよね、自分の言動が原因で相手に印象付けてんなら、それを変えればいいじゃないかと。

 

次にこちらは少し奥を見てくれた人のお話。


人間は、今の世の中なら精神的には一人で生きていけるのかもしれない。
衣食住に関してはさすがに一人じゃ無理だけど、その人たちと知り合いでなくとも、むしろ誰も知り合いがいなくとも、生きていけると思います。

でも結局、なんだかんだ言いながら、私は精神的に他人を必要としているのかもしれないなと思いました。


去年
5年間積み上げてきたと思っていた友情が、信頼関係が壊れて、
結局、いつか壊れるもんなんだと思い知ってから、
少し奥を見てくれた人であっても離れていくのだから
誰と年月を重ねても意味が無いことに気付きました。

だって周りにはそんなに濃い5年以上の付き合いをしてきた人はいないのだから、それより薄いかもしくは短い期間である今まわりにいる人も、これから出会う人も、結局いつか離れていくっていうことじゃないですか。

それからはまた人が離れていくんだってその感覚に陥るのが嫌でした。

でも、最初から期待しなければ誰とも関係がこじれることがありませんので、誰が信じられるとか、誰がわかってくれるとか、そういう少女マンガじみた発想をやめようと思いました。

そうして
自分にも他人にも諦めて、
のらりくらりしてたらさらに自己中度が増していました。
するとさらに周りから人が減りました。
もっと諦めたら、もっともっと離れていきました。


情けないことに
「諦めた」っていう表現を使ってるんですよね、私。
もしその行動が当たり前だと思っているなら、
本当に自分の気持ちどおりなら
いちいちそんな回りくどいこと言わないんですよね。

 


二つの話。

少し奥を見てくれた人でさえ離れていくのに
表面しか見ない人と関係を築けるわけが無い。

これは多少理解してもらえるかもしれません。

 

問題は
人が離れるのが嫌だから、最初から近寄らないこと。


結局これって、ただの自棄なんですよね。
一年経った今でも
まだ自棄になっています。
というよりどんどん激化していってます。

情けない、子供な自分は
十年後にこの話をネタに出来ているんでしょうかね。