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メンヘラがよりメンヘラだった過去を記録して反省するブログ

厨二病とメンヘラは大人になれば治ると思ってた!

2011.02.10 現在も化けるのが好きなのはプロフ写真の通りです

なんだかほわーっとした気分なので
最近電車の中とかでぽっと思って、
でも答えが出ないことを無駄に羅列していこうと思います。
皆さんの意見大募集中です。

 


その1:忍耐について

私はわずか8ヶ月で会社を辞めてしまったんですが、忍耐がないといわれればそれまでです。
でもじゃあ同じ会社にずーっと勤めてる人が忍耐があるってことかってと、そうでもなさそうな気が・・。
いや、確実に私よりはありますけど。

そもそもずーっと同じとこにいることが忍耐ではないわけですね。
忍耐を辞書で調べると「苦痛などをこらえること」と出てきました。
苦痛と感じずに続けることは忍耐ではないんですね。
あたりまえですけど。

忍耐とは時間で決まるのでしょうか。
それとも程度で決まるのでしょうか。
ぶっちゃけどっちもですかね。

軽い苦痛なら、より長く耐えるべきなのか、
重い苦痛なら、短くても耐えたことになるのか。

忍耐という語を、対他人用として考えると、
耐える時間が短いければ、忍耐が足りないといわれ、
はたまた長すぎても、積極性がないといわれるように、
忍耐は美徳的な色が強いように思われます。

そしてたとえば、ある人が苦痛と感じる状況にあり、
『耐える』か『変える』かを迫られたとき、
この最初の判断として、『変える』を選ぶことは基本的に忍耐の美徳に反します。
苦痛と感じる状況をすぐに変えることは、逃げと判断されます。
法律に違反している状況下もしくはそれに準ずる状況におかれたときは、判断材料があるせいか、逃げにはならないようですけど。
不思議ですよね。
その場の状況を他人が手助けしてくれるわけでもないのに、
個人の判断を評価し、もちろんその評価はその後の関係にも影響してしまうわけですから。
本人がものすごくつらくても、傍から見てそう感じられなければ、
「あいつは忍耐がない」とかいって見捨てられていくわけです。

個人的に「辛いけどしかたないから」という発言に関しては、
その今辛いことと、何かをてんびんにかけたとき、辛いことよりその何かのほうが重く、
辛いけどしかたない、と言えるということは、しかたないというところに考えが落ち着けるわけですよね。
本気でしかたないと思えないところまでくると、人間、壊れるんですよね。

しかたないって言葉を使ってる割に諦めだとみなされず、忍耐となる。
なんで?
辛いなら変えればいいじゃないですか。
変えるのが無理だと思うならあきらめてるわけじゃないですか。
変えなくてもいいぐらいなら辛いと言いたいだけの悲劇のヒロインじゃないですか。
なんでそれが忍耐という美徳になるんですか。

でもこれは、安定こそ幸せ、という思考から来るのかもしれません。
では安定とは何でしょうか?

 

その2:安定について

学校を出たら、就職をして、結婚して、家族をもうける。
これが、人間の安定パターンの王道らしいです。

安定とは何なのでしょうか。
なぜ人は安定を望むのでしょうか。

まずひとつ思うのは、
上に挙げた王道パターンを辿ってたとしても、
必ずしも安定なわけなくね、って思うわけです。

家族を設けて、息子が殺人を犯したらどうなりますか。
あなたの道は、王道の安定パターンだったはずです。

もしくは、あなたの母親が要介護人になりました。
あなたは40歳からずーっと母親の介護です。
これを人は安定とは言わないらしいです。ばちあたり。

何があるかもわからないのに、
多くの人は、就職に絶対的な安定という地位を置いています。
もう終身雇用の時代は終わっているというのに。

おそらくこの考えは、バブル崩壊までは、あながち間違ってなかったんだと思います。
新卒主義、終身雇用、成長を続ける日本の経済。
最初に入れば一生居れて、働けばその分会社も成長したと思えるような時代があったわけです。
まあ、私、エコノミストじゃないし、しったかぶりかもしれませんが。

でも今は、新卒主義のみ残り、それ以外の二つは崩壊しました。
まったく個人的な勘ですが、今後経済がどういう形で動いていくかはともかく、
今までの、便利さや速さを求めた世の中の動きにはもう限界があると思います。

たとえば、車がなかった時代から車を作るのではなく、いい車をつくる、しかできないと思います。
それでも十分なのかもしれないですけど。

話がそれました。
安定についての話でした。
経済やらなんやらは詳しい人が周りにいくらかいるので、聞いてみようと思います。(他力本願)

で、
まあ絶対的な安定をおいていたりいなかったり、そんなはなしですが、
そもそも、不安定だから、安定を求めるんじゃないんですかね。

しかも、安定しすぎると、それを幸せと感じなくなるくせに、
安定が長くつづけばいいとか言うんですよね。
どうして?
ずーっと幸せだったら、それを幸せとは感じなくなるのに、
ずーっと幸せを望むのはどうしてなのでしょうかね。

またまたちょっと横道にずれますが、
そもそも生態系内では、安定なんか望めないはずなんです。
食うか食われるかだから。
常に生命の危機と隣りあわせで生きるわけです。
安定感ゼロ。むしろマイナス。

安定というのは、ただの人間の優越感やエゴでしかないのかもしれないですね。
そもそも、人間が今現在得ている安定のほとんどは、
何らかの犠牲、それも必要以上の犠牲が伴っているからです。

食う食われるの動物の世界だって、ライオンが今日生きてるのは、あの時食われたインパラのおかげかもしれませんが、
それとは違い、多くの人間は必要最低限という言葉を、実質的に知りません。

友人に動物愛護思想を持った子がいますが、
彼女が主張するように、東京にいる人間が毛皮をつける必要はないわけです。

まあこうやってかっこつけてみたところで、
私は今現在もこんな時間に電気をつけて、パソコンをしているわけで。
ただの言いたがりなだけなのですが。
もういいや、言い始めたからには言い切ってやりましょう。
結局安定というものは、きらきら、ぽかぽかしてそうですが、
ものすごく人間本位な理想なんだと思います。

で、これをふまえた上で安定ですが(いまさら)

どうして人は、王道パターンを歩むことそれ自体が安定につながると考えるのでしょうか。
数字として、サラリーマンは給与体系が決まっているからですかね。
歩合制な技術人にくらべ、定期的に収入があるからですかね。

つまり、人が指す安定というのは、金銭的なもののことをいうんですね。
私、いまさらですけど、気づきました。そういうことか。
そして世の中には、金銭的に安定していると幸せを感じる人が多いんですね。きっと。

私は漫画の読みすぎなのか、夢見がちなのか、
お金よりも目的のために努力をしたり、その環境ができることが充実という名の幸せであり、人間にはそれが一番なんだと思っていましたが、ただの厨二病患者だったようです。

 

その3:憧れと現実について

きれいな女の人を見ると、よだれがで・・・じゃなかった。
あの人みたいになりたい、とか、
イケメンと知り合うと、この人に近づくために・・・とか思うじゃないですか。

最近思うのは、
自分はやっぱり自己中だなって。

というのも、思うは思うんだけど、
やっぱりいいかな、なんて思ってしまう。
たぶんそれは慕ってくれる友達に恵まれているからかもしれません。
努力は大切なのに・・・。

たとえば、きれいなおねいさんを見つけて、
この人みたいになれれば・・・!とか思いますけど、
いきなりあんなに細くはなれないし、まあこれは要努力ですけど、
毎日お化粧ばっちりとかやっぱりね、無理なんです。

これは本当に個人的思考なんですけど、
お化粧って、化けるためのものなんですよ。私にとって。
だから普段からしたら意味ないんですよ。
常に化けてるなんて疲れちゃうんですよ。
Mちゃんのみたいなすっぴんでも美術品のような美しさだったらどんなによかったか・・!
(ってもMちゃんののすっぴん見たことないけどw)

だからライブとかであほみたいなつけまつげしたりするのすごくすきなんです。

でもさ、働くとなると、どうしても化粧必須!っていわれちゃうわけですよ。
どうにかしてこの考えを根本から変える方法はないですかね?!

もうなんか、最近めんどくさい思考になってるみたいで、
知識人と話しても、同じようになろうと思えないし、
自分がのばせるとこのばせばいいかなーなんてうわー
よくないながれなんだろうなあ。