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メンヘラがよりメンヘラだった過去を記録して反省するブログ

厨二病とメンヘラは大人になれば治ると思ってた!

2010.07.11 あの時の上司に何言われたとかてんで覚えてない。嫌なことは忘れるタイプだと今になって知る。

誤解を受けない言い方がこんなにも出来ないってもはやある意味天性な私です、こんばんわ。

 

いろいろ誤解を生んでるとこもあるみたいですが、
それは人それぞれの受け取り方だと思う。
私の上司のように。
でもそれは私の伝え方が悪いわけなので、
いちいち否定していくつもりはないですが、
一応こういう誤解をとけそうな場所があるので、
今までの考えの流れを補足程度に書こうと思います。


今回は至上最長記録になりそうです。
それでも読みたいという物好きな人は覚悟して読んでください。


さて、
まず、誤解の件

誰よりも髪の毛が明るくて、ピアスして、違反のセーター着て、サボり癖があって、ギャーギャーうるさいという印象しかない高校時代の先輩なんかにゃ
まあ私にも意外にクソ真面目なとこもあったりするんですよ、って言っても、そりゃその人が関わってた時はそういうとこ見せる機会がなかったから仕方ないとは思うんですが

私が今まではっきり投げ出したって言える事は大学のスキー部。
コレは完全に迷惑かけて終わりました。
運動部のマネージャーがやってみたかったっていう理由だけで入って、
完全に合わなかったっていうのと、やっぱりオケがやりたいっていうので辞めました。
これは投げ出したかな。

ぶっちゃけスキー部のことなんて知らないですよねって思うんですがw

でもどうなんだろ、
自分で自覚してないだけで
傍から見たら絶対投げ出してるだろってこといっぱいあったりするんでしょうか。

あとどうなったら『投げ出す』って扱いなんだろう。
何かをやるためにそれをやめることが投げ出すことにならないなら、
変な話スキー部も投げ出したことにはならないんですよね。

 

 


それでは
私の今の業務に対する考えの変遷。

 

入ってから
『使えない』と思われるのが怖くて
常に必死だったし、まあそれは今もですが。
もっとわたわたしてました。皆のこと知らないし。

で、みんなの会社はどうなのか知らないんだけど、
うちの会社は役割分担表みたいなものがあって、
そこに全部の総務の仕事が書かれているんですよ。

で、その一部を担当しているわけだけど、
総務ってこの時期はコレ!っていう仕事は株主総会ぐらいしかなくて、
基本的にはその表に書かれている各自の分担を
どれもこれもいつもやるって感じなんですが、

まあ、細かい内容とか具体的にやってみないとわかんないけど、
隣で上司がやってる仕事を将来的に私がやるっていうことはわかるわけですよ。

私視界はかなり広いから、彼が何をしているかはもちろんいつも見ているし、彼のしゃべってる事は全部聞いている(つもり←)です。
ってと、彼と私は16歳ぐらい違うので、私は16年かけて彼になるわけです。
いや彼仕事はかなりできるからアレになれたらよっぽど凄いんですがw

ちなみに彼になるっていうのは、彼と同じ立場になるってことで、彼の様な社会人になるのとは違います。念のため。

で、それを考えた時に、
私は16年の年月をかけて彼と同じ状況で仕事をすることに喜びを感じられるだろうか、って
なんていうかその考えが、もうほんと、生理現象って言ってもいいような感じのさ、こう、ぐわっと来ましてね(超適当

このときは
何も仕事を知らないのにそう思ってることに対して、

何も知らないくせに、なのか
何も知らないからこそ、なのか

それがわかんなくて。
まあどっちにしろ我儘に変わりはなかったから、
結論としては、自分はなんて社会不適合者なんだろうと。

このあたりから、
好きを仕事にするかしないか論が脳内で始まりました。

最初は
『趣味を仕事にすると義務になるから趣味は趣味にすべき』
と思っていました。
だから興味を持てない仕事でもいいやって思いました。
でも入って、やっぱり今の仕事に全く興味が湧かなくて
そこで考えたのが


"仕事に合う・合わないはあるのか"


よく聞く意見は「どんな仕事だって続けてみないとわからない」というもの。
これ、大事な考え方だと思います。

でも、
じゃああなたは今まで何でその学校を選び、部活やサークルを選び、バイトや就職先を選んできたか、って話になるわけです。
なにかを選択するってことは何かを切り捨てたわけですよね。
その切り捨てたものだって、それをやってみなきゃわからなかったかもしれないわけじゃないですか。

こうやって、「やってみないとわからない」論は何にでも適用できてしまうので、個人の『好み』や『相性』は完全無視することになりかねません。

合わない人も、長く付き合ってみないとわからない
合わない勉強の分野(理系・文系とか)も、やってみないとわからない
合わない習い事も、続けてみないとわからない

でもそればっか言ってると、
なんでもやってみないとわからないなんてあたりまえじゃないですか。
そりゃ未来のことなんて誰もわからないんだからやってみなきゃわかりませんよ。


そこで例文。

A.仕事が合わないかなんてやってみないとわからない
B.向井理と付き合えるかなんてやってみないとわからない

AとBの違いはなんでしょう。
どっちもやってみなきゃわからないですけど、
明らかにBは無理だろって思う人が多いはずです。
でもその根拠は、となると、「だって無理でしょw」にしかならないはずです。


この理論の解釈はおそらく、確率がどれくらいなのかということと、
維持・継続することに美徳を置いているというよりは、
その場の感触を『主観』のみで否定することが良くないと言いたいんだと思います。
だから上の場合、向井理と付き合う事は『客観的且つ一般的』に考えて無理だから無理なんです。


その上で
じゃあその『客観的且つ一般的』ってのと『主観』ってのの線引きはどこなんだって話になるわけです。

では例文

A.その仕事が合わないから辞めたい
B.その仕事で体を壊したから辞めたい

この文面だけで判断するならば、Aには「やってみなきゃわからない」となり、Bには「辞めるべきだ」となるわけです。

でもこの背景にどんなものがあるかわかりませんよね。
Aはともかく、Bはもしかしたら結構な被害妄想の持ち主だったかもしれないじゃないですか。
普通に厳しいだけの会社なのに、その人だけが合わなかったってこともあるわけです。

少し前の日記に、友人Sが『他人のことは何とでも言える』ってコメントをくれました。
これはかなり正論だと思うんです。
私がどういう状況・心境かを知らなくても、肯定する人・否定する人・意見を言う人、いろいろいます。

いやそれが悪いとか、私のことを知れってんじゃなくてね。
結局何が言いたいかというと、
やはり誰が何を言おうと客観的とか一般的って言葉は完全には否定できないわけです。
でなければ慣習法なんて存在しませんし。
一方で、自分で考えること・決めることはどうしたって自分の脳を使ってるわけですから、主観も取って切り離せはしないわけです。
以前純客観は存在しないって話をしました。

ですから、その線引きというのは自分でやるしかない。

つまりね、ようやく議題に戻れるんだけど、
合う合わないは自分で決めるしかないんですよ。

た だ し 、

その判断をなるべく客観的・一般的に近づける必要があるって話なんだと思うんです。


まとめると、

「仕事に合う・合わないは存在するがその判断を客観的・一般的な見地に立って行うべき」

というのが今の私の考えです。

ちなみに余談としては、
合う・合わないはあるけど、好き・嫌いとは違うと思うんです。
だから『好きを仕事に』って考えるのではなく『合うを仕事に』。

 

仕事って、
野球に例えられると思うんですよ。
プレイヤー型・マネージャー型・監督(演出)型・審判型って。
観客は除きます。

でね、
やってみなきゃわかりませんよ?
やってみなきゃわかんないんだけど、
私が自分に合うと思ってるのは『監督(演出)型』もしくはがんばって『プレイヤー型』なんです。
でも今の仕事の総務ってのは完全に『マネージャー型』もしくは『審判型』で真逆なんですよね。
だから私はこの先何十年とスーパーマネージャーになるために日々やってくようなもんなんです。
そう考えたら、無理。
無理って違うな。無理じゃないけど、合わない。
その証拠に私は毎日が同じ繰り返しにしか感じられず、
毎日のほとんどを覚えないないんです。
覚えていないはちょっと大袈裟だけど、
普通、昨日あったこととか軽く覚えてますよね?
でもなんか、真っ白。
その言葉がぴったりの脳内が3ヶ月続きっぱなし。


私はどうしても"つくる"ことが好きみたいです。
でもクリエイターにはなりません。
このへんに変なこだわりがあってですね、
評価があまりに人の好み等抽象的過ぎるものに委ねられるものは評価として感じられないんですよ。
そうすると常に不安がつきまといます。
だから歌は好きだけど歌手になろうとは思わなかったんです。
それに比べて作曲・編曲がきわどいラインで、実際作るのは私だけど"魅せる"のは演奏者なんですよね。
でも評価としては好みになるのでやっぱりだめかなと。

そう考えてくと、やっぱり企画が好きなんですよね。
企画は何かの目的達成のためにどうするか、ですので、
芸術分野みたいにゴールがなさ過ぎるわけではないし。

私はどうしても、外からの評価がないと不安になる性格みたいです。
ナルシストの正反対ってなんていうんだろうね。

 


次は人間関係のお話。

入って2週間で
「今やってる事はバイトでもできるから」
「その辺の資料全部見ていいんだから早く頭にたたきこんでね」
「優先順位?どれも優先すべきことだけど」
っていうのを鼻で笑いながら言われる。
そこでようやくそういう上司だってことに気付く。

最近は「その考えの姿勢が許せない」とか言われるし。
純粋にメールを使えば一番効率的で誰にも迷惑がかからないと思ってやったことを「メール送れば済むと思うなよ」「考え方が卑怯」「理由って書いてあるけどただの言い訳じゃん」ってさ。
まあこれは私が文章力に欠けてるだけな気もするけど・・・orz


でも仕事は出来る人だし、
テレビに出てきそうな、何も出来ないのにひっちゃかめっちゃかな理論をまくし立ててくるわけでもないので、
この人に気に入られない私が悪い、この人に沿った考え方が出来ない私が悪いと、それはきちんと理解しました。

しかしだ。
どんなに一生懸命考えても彼がどういう人物像を望んでいるのかがわからない。
一つ一つに報告連絡相談が欲しい人なのかと思って言えば、鼻で「ハッ」とか言いながら"そんなの聞かずにやれよ"という顔をするし、
これはさっき確認したからいいかな、と思ってしまった事は(いや本気で実際大した内容じゃなくても)「何で自分でやっていいと思うわけ?」と言われるし

しかも私の耳は常に馬耳東風と真逆の状態であり
毎回彼に嫌味を言われるのをスルー出来ない。
それはもちろんさっきも書いたけど、嫌味だけど言ってる事は常識の範囲内ではあるから。
言われて、納得することばかりです。
でも、
絶対に言われないと気付かないことが余りに多すぎて
それを言われるまで気付けないのは
私が使えない人間で見当違いのことばかりやってるからなのか、
私が常識に欠けているからなのか、
彼のヒントの与え方が間違っているのか。

 

そんな上司はどこへ行ってもいます、という意見は正しいと思います。
そして私に問題がある、というのも承知してます。

結局解決方法は、「やってみなきゃわかんない」論と同じです。
合う合わないはあるけど、一方的な判断はダメよ、と。

でも一つ言えるのは
私が彼の言葉をダイレクトに受け止めないように、
最近は常に頭の意識を低下させてます。
それがたまに仕事のケアレスミスにつながってしまう。
私が100%悪いんですが、そんなふうになってしまう職場、やっぱり私は合わないと考えます。
職場って言うか・・・職場じゃないんだけど、変な話うちの会社って誰ともしゃべらないで一日過ごすことも可能なんですよ、ホント静かなの。
でも上司とは絶対にしゃべらなきゃいけない。辛すぎる。。

ただ人間関係だと厄介なのは、
改善は一人じゃ出来ないってこと。
こちらがいくら好意的になっても相手が自分を徹底的に嫌いだったらダメなわけです。

私の杞憂で終わるかもしれませんが、
おそらく、上司から歩み寄るような事は今後一切ないと思います。


でも人間関係に関しては何も答えが出てなくて
私はどこへいってもこういう人間関係になってしまうのかしら、
とそれが不安でしょうがないです。
彼がたまたま本気で合わない人だったのか、
私の努力が足りなかったなら、今後も同じ繰り返しをするのではないかと。
もしくは仕事の業務が合うなら気にならないもんなのかとか。
それこそ、やってみなきゃわかんないw

 

以上の二つの考えが今の私の脳内を軽くまとめた感じのです。

で、
まあこの前の日記で言った海外って言うのは
若いうちにどっか行って色々知っときたいって話で。
絶対何かしら目的は決めていくつもりだけど、その目的をまだ決めかねてます。色々あるんだもの。


この先何を知って、理解して、
判断がどうなるかは未だ不確定です。
だからこの前の日記の題名は「決めた(第一段階)」だったんです。

「私はこれをするって決めたんだから、誰に何を言われようと知らない!」
とはっきりいえるぐらいの何かがあればいいのに。

 

さて、寝よう。

・・・なんか実は申し訳ないけど
すんごく眠くて最後のほう文章おかしいかもw